社会の変化や構造について考えるとき、私たちはつい「大きな話」として捉えがちです。
制度、経済、組織、教育、政治──
そうした言葉の中に、自分の小さな日常がなかなか重なってこないこともあります。
けれど実際の社会は、誰かが朝、誰かと挨拶を交わした瞬間から始まっていて、どこかで起きた小さな判断や選択が、やがて制度やルール、空気を形づくっていくこともあります。
“私”という存在は、社会の外にいるわけではなく、その一部であり、同時に編み手でもあるのだとしたら──
私たちは、社会とどうつながり直すことができるのでしょうか?
小さな選択、交差する関係、届かなかった声、続いていく問い。
みなさんが感じている、「個」と「社会」のあいだにある遠さや近さについて、よければ聴かせてください。
社会という言葉が指すものは、とても広くて、抽象的で、だからこそ「自分とは別のもの」のように感じられることもあるかもしれません。
けれど、日々のやりとりの中にある言葉や、小さな場面での選択、誰かの声にどう応えるかといった瞬間に、“社会”はいつも、私たちのすぐそばにあるようにも思います。
「つながっている」と意識するのは難しくても、無関係でいることは本当はできなくて。
たとえば、誰かの問いに向き合う時間。誰かを信じること、何かに違和感を抱くこと。それらはすべて、私という個人が、社会に“手ざわり”を持って関わっている証なのかもしれません。
だからこそ、社会とつながり直すというのは、「声をあげること」や「聴き合うこと」を
少しずつ繰り返していくことなのではないか──
この問いを読みながら、そんなふうに感じました。