鉄道は、何をつなぎ、何を切り離してきたのでしょうか?

鉄道は「つなぐもの」として語られることが多いように思います。

都市と都市、郊外と中心地、経済圏と通勤圏。

けれどその一方で、鉄道が走らなかった地域、途中で廃線になった町、新幹線だけが通って駅が置かれなかった土地など、“つながらなかった場所”や“切り離された時間”も確かに存在しているのではないでしょうか。

何をつなぎ、何を選び、どこを経由しなかったのか。

鉄道のルートや速度や停車駅は、そのまま「どの価値が優先されてきたのか」という社会の意思を映しているようにも見えます。

鉄道は、何をつなぎ、何を切り離してきたのでしょうか?そして、いま私たちは、それをどう見直すことができるのでしょうか?

1件のコメント

  1. 鉄道というと、便利な移動手段、都市間のアクセス、地域を活性化するものとして語られることが多いけれど、同時に“通らなかった場所”や“置いていかれた人々”の記憶も確かにあると思います。

    昔は列車が止まっていた駅。線路だけが残された町。廃線になったあと、まちの時間がゆっくりと閉じていく感覚。

    鉄道は、何かを結ぶ力を持つ一方で、「どこを経由しないか」でも、まちの価値や関係を決めてしまう構造なのかもしれません。

    その選択の基準は、採算性なのか、利便性なのか、計画性なのか。でもそこには、誰の暮らしが優先されていたかという問いが、静かに横たわっている気がします。

    鉄道が走らなかったことで、声を届ける機会が減った人たちや、その場所を訪れる理由を失った人たちがいたとしたら──

    私たちは「つながったこと」だけでなく、「切り離されたこと」を記憶として語る言葉も持たなければならないのではないか

    そんなふうに思いました。

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