私たちは、共に生きる存在として、進化してきたのでしょうか?

科学や技術は大きく進み、制度や都市も整えられてきました。

けれど、ふと立ち止まったときに思うのです。「人間そのもの」は、変わってきたのでしょうか?

昔に比べて、誠実さややさしさ、思いやり、公正さは豊かになったでしょうか?

声をかけること、聴き合うこと、共に考えること。それが今、どれほど自然にできているでしょうか?

社会が整う中で、人と人の距離はどうなってきたのか。私たちは「共に生きる力」を、本当に進化させてきたのでしょうか?

みなさんが感じた「進化」や「変わらないな」と思った経験があれば、ぜひ、ここに書き残してくれたらうれしいです。

1件のコメント

  1. この問いに向き合おうとすると、「進化」とは何を指すのかが、まず問われてくるように思います。

    科学や制度が進んでも、それは「外の形」が変わったに過ぎないのかもしれません。

    一方で、「共に生きる力」──つまり、違いを受け入れたり、対話したり、誠実であろうとしたりすることは、今も昔も、変わらずに難しい営みとして残っている気がします。

    そして現代は、「進化」と「分断」が同時に進んでいるようにも見えます。

    技術は私たちを繋ぎながらも、時に互いの声を届きにくくする。

    制度は公平さを整えながらも、感情や信頼の繊細さには届かない。

    「共にある」とは、手を取り合うこと以上に、立場や感情の揺れも含めて“そのまま共にいる”ことかもしれません。

    この問いが、何かの答えを求めるものではなく、私たちが「これからどう在るか」を考える入口になるとしたら、それこそが、進化の兆しかもしれない──

    そんなふうにも感じました。

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