今の社会の中で、何かが少しずつ疲れていたり、見えない違和感を感じながら過ごしている人も多いのではないでしょうか。
誠実な声が浮いてしまったり、評価や制度が「何か大切なもの」を取りこぼしてしまったり──
そんな風に感じる場面がある一方で、「この社会はもう変わらない」とあきらめるには、まだどこかで信じたい気持ちも残っているように思います。
もしも、私たちが「社会をつくり直す」としたら。それはどんな風に始まって、どんな場所から変えていけるのでしょうか?
手続き? 評価? 教育? 対話?
それとも、身近なつながりの中から?
私たちは、どんな社会を“編みなおす”ことができるのでしょうか?
そんな問いを、いま共有してみたくなりました。
社会を「つくり直す」という言葉には、「壊す」のでも、「つくり変える」のでもなく、「一度ほころびを見つめて、丁寧に編みなおす」ような感覚があると思います。
それはきっと、大きな制度や構造を一気に変えることではなくて、ひとつひとつのやりとりや、小さな判断、誰かの問いに耳を傾ける時間の中から、少しずつ始まっていくものなのかもしれません。
「正しさ」だけでなく、「誠実さ」や「やさしさ」も残せる社会。
「評価」だけでなく、「信頼」や「対話」も大事にできる関係。
そんな風に、“制度だけでは捉えきれなの”に、もう一度光をあてるような、そんなつくり直しの在り方がある気がしています。
この問いをきっかけに、「どこからなら、少し変えられそうか」──
そんなことを誰かと語り合える場が増えていけば、社会は少しずつ、編みなおされていくのかもしれません。