私たちは日々、たくさんの「答え」に囲まれて生きています。
正解や判断、結論や処理──
それらは時に便利で、秩序や安全を支えるものでもあります。
けれど、変化のきっかけになるのは、決まった答えよりも、まだ解かれていない問いのほうかもしれません。
一つの問いが場に置かれたとき、誰かが立ち止まり、別の視点が生まれ、それまで当たり前だった構造が、少しだけ揺れはじめることがあります。
それはすぐに「改革」や「制度変更」といった目に見えるかたちで表れるわけではないかもしれません。
けれど、問いは人の心や関係性に“見えないほころび”をつくるものでもあると思います。
問いは、社会にどんな変化をもたらすのでしょうか?そして私たちは、その問いをどう迎え、どう手渡していけるのでしょうか?
問いには、目に見える力だけではなく、静かにゆっくりと空気を変える力があるように思います。
すぐに制度が変わるわけでも、答えが見つかるわけでもなくても、ひとつの問いが場に置かれたとき、それを意識する誰かの「まなざし」や「待ち方」が少し変わることがあります。
それは、“何かを変えよう”という直接的な意思というよりも、「このままでいいのか?」という静かな揺らぎかもしれません。
揺らぎが続くと、関係の持ち方が変わり、言葉の選び方が変わり、判断の仕方がゆっくりとずれていく──
その連なりのなかに、社会が少しずつ変わっていく余地が生まれるような気がしています。
問いを記録するという行為も、そうした“目に見えないほころび”を丁寧に拾い続ける営みなのかもしれません