正しさとは何か?誰がそれを決めているのか?

「これは正しい」「これは間違っている」──

私たちは日々、さまざまな判断に出会い、ときには自分が判断する立場にも立ちます。

けれど、その「正しさ」は、いつ、誰が、どのように決めているのでしょうか?

法律、制度、常識、空気、雰囲気、感情、信頼、直感、文化…。

正しさの根拠は、実はひとつではなく、ときに重なり、ときにぶつかって、判断を難しくしているのではないでしょうか。

最近では「データに基づく判断(EBPM)」が求められる場面も増えています。

それでも、「誰にとっての正しさか?」という問いが、判断の奥にはいつも残っている気がします。

私たちは、どこに“正しさ”のよりどころを持つべきなのでしょうか?

皆さんが経験した「正しさが揺らいだ瞬間」や、「自分なりの正しさ」を考えたことがあれば、ぜひ聞かせてください。

1件のコメント

  1. 「正しさ」という言葉は、多くの場合「誰の文脈で語られているか」で意味が変わるように感じます。

    法律に基づいた正しさ、組織の中での正しさ、あるいは文化や場の空気の中で求められる正しさ。

    そしてもうひとつ、“自分の中にある、説明しきれないけれど譲れない正しさ”もある。

    それらが一致しているときは静かだけれど、食い違いが起こったとき、私たちは迷い、ときに“誠実さそのもの”が「正しさから外れて見える」ことさえあるのかもしれません。

    「誰にとっての正しさか?」という問いは、判断の根拠以上に、その判断がどう届いてほしいかという願いにも触れている気がします。

    “正しさ”を語ることは、実は“関係の質”を問い直すことなのかもしれない──

    そんなことを、この問いを読みながら考えました。

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