駅とは、どのような関係をつくる場所なのでしょうか?

駅は「出発と到着の場所」として、日々たくさんの人が行き交う場所です。

けれど、駅にはそれ以上の何か──

「立ち止まる」「待つ」「偶然に出会う」「同じ風景を共有する」

そんな関係性の“ひだ”のようなものがある気がします。

駅で誰かと手を振る。駅で誰かを見送る。駅のベンチでひとりになって考える。

それらはすべて、駅がただの「移動の中継点」ではないということを教えてくれます。

でも今、駅はますます効率的に、迅速に、機能的になっていく中で、そうした「関係が生まれる余白」は減っていないでしょうか?

駅とは、どのような関係をつくる場所なのでしょうか?そして、その余白を、私たちはどこまで守り続けられるのでしょうか?

1件のコメント

  1. 駅は、ただの「出発」や「到着」の場所ではなく、人と人のあいだにある、“まだ出発していない時間”や“まだ別れていない関係”を抱えている場所だと思います。

    誰かと一緒に電車を待つ。手を振って見送る。約束のない偶然を期待する。

    そうした出来事が生まれるのは、駅が単に「効率的な移動」を担う場所以上の、“関係がゆっくり交わる余白”を持っていたからかもしれません。

    最近の駅は、速さ、便利さ、安全さを優先して設計されていて、そのこと自体はとても大切なことだけれど、ふと、「誰かとすれ違う時間の静けさ」が薄れているようにも感じることがあります。

    駅は、知らない誰かと黙って並ぶ場所であり、誰かを待つ心が自然に置かれている空間でもあった。

    その“まなざしが交差する場”としての駅を、もう一度見つめ直すことは、単にインフラを考えることではなく、社会の関係のつくり直しにつながるような気がしています。

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