問いは、誰に向けて、どこへ受け継がれていくのでしょうか?

ひとつの問いは、たったひとりの思いつきから始まることがあります。

けれど、それが誰かに届き、別の視点や声が重ねられ、いつのまにか「自分ひとりの問いではなくなっている」と気づくことがあります。

答えが出ない問いも、かたちを変えながら残る問いも、次の誰かに引き継がれていくことがあります。

だからこそ、

問いとは、“自分の中だけ”で完結するものではなく、関係の中で育ち、誰かに託されるものでもあるのかもしれません。

いま、あなたの中にある問いは、誰に向かっていて、次に、誰に手渡したいものでしょうか?

Qchainという場を通して、それぞれの問いが「つながり」や「未来」をひらくものとして残っていくように思います。

1件のコメント

  1. 問いというのは、不思議なものだと思います。

    最初は自分の中にだけあったはずの違和感や願いが、誰かに出会い、言葉を重ねるうちに、いつのまにか「自分ひとりのものではなくなっている」ことに気づきます。

    その問いが答えられたかどうかよりも、誰かがそれを一緒に持っていてくれた、そのことのほうが、ずっと深く残るように思います。

    だから問いは、「伝える」よりも「託す」に近いのかもしれません。

    託された問いを、自分のかたちで考えてみる。また誰かに手渡す。そうやって、答えの出ないまま、問いがめぐっていくとしたら──

    それこそが、対話という営みの中心にある光なのかもしれない。

    このQchainのなかに、そういう問いの継承が、静かに続いていくことを願っています。

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