説明会が終わった集会所には、重苦しい沈黙が残されていた。
住民たちは一人また一人と静かに席を立ち、畳の上には座っていた体温の気配だけが薄く残った。足音が去ったあとも、椅子の軋む音やため息の余韻が壁に染み込んでいるようで、勝道はその空気を胸いっぱいに吸い込みながら、黙って椅子を片付けていた。
畳には湿った草の香りが漂い、窓の隙間から大谷川のせせらぎが細く流れ込んでいた。椅子を運ぶたび、そこに腰掛けていた人々の不安や戸惑いがまだ温もりのように残っている気がして、勝道は何度も手を止めそうになった。
温泉源の枯渇、川の水量の減少、地盤沈下、大気汚染、騒音や振動――。それらはただの技術的な課題ではなく、人々の暮らしそのものに刻まれた不安の声だった。
片付けがほぼ終わった頃、会場の入り口から柔らかな足音が響いた。
振り返ると、東京帝都大学の稲葉教授が穏やかな表情で近づいてきた。顔には疲労の影がにじんでいたが、目は勝道を気遣うように柔らかく光っていた。
「細尾君、今日は初めてこういう場を経験したんじゃないかな」
教授は勝道の隣に立ち、静かに声をかけた。
勝道は小さくうなずき、胸の内を吐き出すように言った。
「はい……。正直、これほどまでに技術が人々の暮らしや感情に深く関わっているのだと、思い知らされました。影響を数字や理論で測れても、その重みをどう受け止めればいいのか……」
言葉が途切れ、勝道は唇を噛んだ。だが教授は責めることなく、その沈黙を受け止めるように頷いた。
「それでいいんだよ。技術とは本来、人々の暮らしを守り豊かにするためにある。しかし同時に、その変化は必ず人を不安にさせる。その不安や戸惑いにどう向き合い、どう言葉を紡ぐか――それが技術者の責務なんだ」
その言葉は穏やかだが力強く、勝道の胸奥に響いた。教授の言葉は、勝道が形にできなかった心の揺らぎをすくい取り、包み込んでくれたようだった。
教授はふと笑みを浮かべ、続けた。
「実はね、千葉の大多喜町でも天然ガスを利用した研究をしている。そこには、君と同じように悩みながら地域と向き合っている若い技術者がいる。東京帝都大学の学生で、赤沢浪平という青年だ」
「赤沢浪平さん……」
その名前を口にした瞬間、勝道の心に波紋が広がった。浪――波。水の名を持つ彼と、自分の道筋。顔を知らぬ青年だが、同じように揺れながら責任を背負っている存在がどこかにいる。そのことが奇妙に心を支えた。自分ひとりではない、という実感が静かな熱となって胸に灯った。
教授はさらに声を落とし、確かめるように言った。
「細尾君。結論を急がなくていい。迷いながら、一歩ずつ地域と向き合い、対話を重ねること――それが、優れた技術者になるために最も大切な資質なんだ」
勝道は深く頷いた。その瞳には、まだ小さいが確かな光が宿りはじめていた。
その夜、宿舎に戻った勝道は窓辺に立ち、夜空を仰いだ。星々は境界線を越えるように広がり、暗闇を無数の点で貫いていた。
(自分はこの土地とどう向き合い、技術者としてどんな責任を果たしていけるのか――)
答えは見つからなかった。それでも構わなかった。教授の言葉通り、答えを焦らず、問いを抱えたまま歩いていこう。境界線を越えて瞬く星々は、その道が必ず続いていることを示しているように見えた。
夜風が頬を撫で、静かな闇の中で勝道は目を閉じた。その胸には、小さいながらも確かな芽――技術者としての覚悟の芽が、確かに息づいていた。